「富士スピードウェイ フィナーレ 誕生・感動・伝説・・・未来」

「富士スピードウェイ フィナーレ 誕生・感動・伝説・・・未来」が、2003年9月15日、静岡県・富士スピードウェイで開催されました。
富士スピードウェイは、2003年9月15日をもってレーシングコースの営業を休止し、2005年4月にリニューアルオープンします。
同イベントは、これまで富士スピードウェイを愛したモータースポーツファンに対する感謝の気持ちを込めて行われたものです。

今回のイベントでは、1966年の誕生から現在に至るまでの感動や伝説のシーンを振り返りながら、新たな未来に向けてのスペシャルプログラムが組まれていました。
「コースイベント」では、それぞれの年代を飾った名車による「タイムスリップデモレース」、歴代×現役ドライバーによる耐久デモレース「富士マスターズ250キロ(グラム)」、富士スピードウェイの代名詞ともなった「富士GCメモリアルラン」、1977年に開催された富士のF1を走ったウォルターウルフWR1による「F1メモリアルラン」、富士最後の公式レースとなる「GC-21レース」、デモ走行参加全車両による「グランドフィナーレ」などを開催。
また、パドックでは、富士を駆け抜けた往年の名車を年代別、メーカー別に展示する「タイムスリップストリート」、伝説の名ドライバー、現役ドライバーによる「ドライバートークショー」なども行われています。
そして、イベントの最後には、コースをファンに開放、記念の花火も打ち上げられています。同イベントには、富士スピードウェイをこよなく愛したファンが多数来場、各所で記念撮影をするなど、イベント終了間際まで現コースとの別れを惜しんでいました。
同イベントは、以下のような流れで進んでいきました。

・オープニングセレモニー
・GC-21 予選
・60’Sラン
・70’Sラン
・トークショー 現役ドライバー
・トークショー 歴代ドライバー
・80’sラン
・90’sラン
・グリッドWALK
・耐久レース「富士マスターズ250キロ(グラム)」
・富士GCメモリアルラン
・GC-21 決勝
・F1メモリアルラン
・メモリアルラン
・グランドフィナーレ
・コース開放
・花火

「60’sラン」では、1966年の「日本グランプリ」を再現、プリンスR380-Iとポルシェカレラ6の伝説となった死闘を再現。日本のモータースポーツ黎明期の日本車対外国車の対決が37年の時を経て鮮やかに蘇りました。
アメリカのCAN-AMシリーズで主役の座を握り続け日本のレースシーンでも活躍したマクラーレンM6-12/フォードや、ローラT70などもデモランを行っています。

「70’sラン」では、最後のトヨタ7が富士では短期間だけ行われた左回りでフルコースを周回。このトヨタ7は、1968年、1969年の「日本グランプリ」で日産に苦杯をなめさせられたトヨタが打倒日産を旗印に開発したモンスターマシンです。
ところが、折りからのオイルショックで「日本グランプリ」は中止に追い込まれ、トヨタもモータースポーツ活動を縮小。最後のトヨタ7は、実戦に参加することなくサーキットを後にした、悲運の名車なのです。
その美しいボディラインは、今日でもその輝きを失うことはありません。また、スカイラインGT-RvsサバンナRX-3という日本のツーリングカー史に残る名勝負も、高橋国光、片山義美という当時のワークストップドライバーが操り実現しています。

「80’sラン」では、BMW M1やシルビア・スーパーシルエットなどの内外のツーリングカーが多数走行。

「90’sラン」では、グループCのポルシェ962C、STPトヨタ88C、レナウンチャージマツダ787B、トヨタTS010、ニッサンR92CP、ニッサンR391の6台が日本で最も面白かったカテゴリーのJSPC(全日本スポーツプロトタイプ選手権)を再現しました。
マツダ787Bは、この時点で、日本で唯一の「ル・マン24時間レース」優勝マシンです。また、国内トップフォーミュラの全日本F3000マシンやフォーミュラ・ニッポンマシンも走行しています。

耐久レース「富士マスターズ250キロ(グラム)」は、マツダロードスター・パーティレース仕様車を使い、富士スピードウェイを舞台に活躍したOBドライバーと現役ドライバー、ロードスターのオーナーがトリオを組んで行うミニ耐久レースです。
ドライバーの総重量を250kgとなるように調節し、懐かしの変則ル・マン式スタートにより行われ、各ドライバーが火花を散らす名レースが展開されました。

「富士GCメモリアルラン」は、GRD/BDA、マーチ73S/BMW、紫電/BMW、シェブロンB36/BMW、MCS5マーチ822/BMW、MCS7改マーチ86B/DFV、ローラT88-50/セルモ89Gの6台が参加。専用シャシーからF2流用シャシーへとGCの変遷をも感じさせる各車が、往年の走りを披露しています。
そして、それらのマシンにバトンタッチされるようにして、富士最後の公式レースとなる「GC-21レース」がスタート。F3ベースにムーンクラフト製の流麗なカウルをまとった各車が富士最後の公式レースのフィニッシュラインを横切りました。

「グランドフィナーレ」後には、「コース開放」が行われ、スターティンググリッドには同イベント出走各車が並べられる粋なはからいでスターティンググリッドの雰囲気を満喫。
ファンが最終コーナーや1コーナー、ウォールの富士スピードウェイのペイントを背に名残惜しむかのように記念撮影する光景もあちらこちらで見受けられました。
記念の花火も打ち上げられ、富士スピードウェイはいよいよフィナーレ。2005年4月のリニューアルオープンまで、世界でも屈指のレーシングコースはしばしの眠りに就きます。

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