1973年3月31日、4月1日/鈴鹿サーキット
第8回を迎える鈴鹿500キロ自動車レースです。84周で争われるこのレースには、R-II(1300cc以上のレーシングカー)に4台、GT-II(1300cc以上のグランドツーリングカー)に3台、GT-I(1300cc以下のグランドツーリングカー)に4台、T-II(1300cc以上のツーリングカー)に12台、T-I(1300cc以下のツーリングカー)に19台、がエントリーしています。
中心となるのはR-IIクラスなのですが、藤田典生(KEシャラコ)、伊谷謙治(リバーサイドNo.5)、山本高士(カペラR)、木倉義文(ローラT290)という顔ぶれとあっては、リタイアしない限り木倉義文の圧勝が約束されたレースになります。GT-IIクラスはファエレディ240Z、GT-IクラスはホンダS-800のワンメイクとなっています。
T-IIクラスは、バラエティに富んでおり、スプリンタートレノ、カローラレビン、トヨタセリカ、いすゞベレット、スカイラインHT GTR、プレストロータリー、サバンナ、カペラと言った車種がエントリーしています。T-Iクラスは、パブリカ、カローラ、サニーに加えて、後のこのクラスの主力となるシビックが顔を覗かせています。
サポートイベントとなるフォーミュラレースは、例によって豪華な顔ぶれとなっています。
高武富久美(ハヤシ706)、林将一(ハヤシ706)、力身修(ハヤシ706H)、道上佐堵史(ハヤシ706)、堀雄登吉(アローS31)、片山義美(KEフロンテ)、従野孝司(KEフロンテ)、水谷敬一(ベルコ97A)、畑川治(ベルコ97A)、真田睦明(フロンテ)、新井鐘哲(ワールドAC-9C)など、優勝の可能性を秘めたドライバーがひしめいているのです。
プログラムは、読み物が豊富になっています。「’72鈴鹿グレート20ドライバーズレース」を回顧した「勝負の第1コーナー!」、星島浩による「伝統の鈴鹿500キロ回顧録」、「’73全日本鈴鹿500キロ自動車レース-出場選手紹介」、「ナショナル・フォーミュラのはなし 本格的に、しかも安価そしてコンペティティブ」、「ラップタイム変遷史 ラップレコード–それは未完のマシーンの永遠の目標だ。」、「モーターサイクル・レースの魅力」、「レーシングドライバー素顔写真集」、写真にコメントを付けた「スズカ・あらかると」。
「★鈴鹿育ち★強くはばたけ木倉義文」では、木倉義文のバイオグラフィーを紹介しています。1947年生まれの木倉義文は、スポーツ万能で感の強い少年として育ち、1965年に4輪レースデビューを果たします。
グループ・オブ・スピードスポーツ(GSS)に入会した木倉を、先輩である佐藤全弘は「木倉の素質は天才的に思われた。とにかく、その速さといったら、ひときわ光っていたといえる」と評しています。
そして、木倉は、1965年の「船橋クラブマン・レース」にホンダS600でデビューし、いきなり優勝してしまいます。木倉は、その後も連戦連勝を果たし、永松邦臣、高武富久美とともに全国区のドライバーとなり、この日に至っているのです。
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