「’74鈴鹿グレート20ドライバーズレース」

1974年8月4、5日/鈴鹿サーキット
同年6月2日に富士スピードウェイのグランチャンピオン(GC)シリーズ第2戦で起こった大事故により、レース内容の大幅な変更とエントラントの出場見合わせが生じています。
事故は、ワークス出身ドライバーによるライバル意識のヒートアップが一因ともされ、風戸裕と鈴木誠一の2人が亡くなるという最悪の結果を生み出しています。
その余波を受け、GCと同じシャシーを持ち出場台数の少ないF2000は開催を取り止め、黒沢元治はライセンスを返上、鈴木誠一に弔意を示した日産大森系の星野一義、寺西孝利、歳森康師らは出場を見合わせています。
こうして、このレース名の主旨である「日本を代表する20人のドライバーとマシンを招待して、最高のレースを見てもらう」ことは、1974年に関しては不可能になり、メインレースはFJ1300になっています。F2000での出場を予定していた高原敬武も、FJ1300での出場に切り替えています。予選順位は以下の通りです。

1.長谷見昌弘(KE-FJ日産)2分12秒5
2.水谷敬一(ベルコ98A日産)2分12秒9
3.鮒子田寛(マーチ743ホンダ)2分13秒2
4.高橋健二(マーチ733日産)2分13秒4
5.谷口芳浩(アルピーヌA364日産)2分14秒4
6.高原敬武(マーチ743日産)2分14秒7
7.都平健二(GRD372日産)2分15秒0
8.西野弘美(ウメダスペシャル日産)2分15秒1
9.高田和政(NOVA01日産)2分15秒4
10.高田忠政(NOVA01日産)2分15秒7

ちなみに、このレースは、15周ずつの2ヒート制で行われ、鮒子田寛が両ヒートとも制しています。
サポートイベントは、ツーリングチャンピオンレースとFL-500チャンピオンレースが行われています。予選は、前者が常勝・長坂尚樹(サニークーペ)が2分28秒5で、後者が力身修(ハヤシ709スズキ)が、2分25秒9で、それぞれホールポジションを獲得しています。

プログラムの読み物は、「GPをめざして! 波乱含みの<<グレート20>>」と題して、星島浩がF2000開催断念のいきさつやレース展望を語っています。
F2000とFJ1300を分離独立したレースにしようという案は5月からあったそうで、危険性を考えるとエントラントが減ったからといって混走させるのは難しく、F2000の開催断念はやむを得なかったとしています。そして、FJ1300の決勝では、ダミーグリッド方式が採用される予定だといいます。
これは、実際のスタートラインから30m~50m後方で仮のグリッド整列を行い、合図とともに各マシンは隊形を保ちながら本来のスターティンググリッドをめざし、ポールポジションが本来のスタートラインに到達したと同時に正式にスタートするというもので、安全性に配慮した措置です。
「フォーミュラマシン メカニカルレポート」では、F2000とFJ1300をメカニカルにレポートしています。F2000は、F2と全く同じ規格で行われており、唯一の違いは日本製のエンジンが使用できるということです。
現時点では、BMWが圧倒的な強さを見せ、ブライアン・ハートがチューンするBDAがそれに食い込む形になっています。三菱のR39B-II(サターン)もポテンシャルは高く、再登場を期待しています。FJ1300は、日産が主流で、トヨタ、ホンダが、その牙城を崩すよう尽力しています。

「<座談会>レースと安全確保の問題点を語る」では、ドライバーの高原敬武、片山義美、小島エンジニアリング代表の小島松久、競技長の星島浩、鈴鹿サーキットの各委員長などによる座談会の模様が収録されています。
「安全性からいえば(2座席レーシングカーよりも)フォーミュラカーだと思う。フォーミュラカーはホイールが露出しているので、ホイールやタイヤがレース中に接触すれば極めて危険だ。
しかし、ドライバー同士、お互いにそれを意識しているだけに、より気をつけてドライブする」(片山義美)、「ガードレールの前にスポンジのブロックを並べるというアイデアは、われわれ走るものにとって非常にありがたい。安心感が増した。新しいアイデアですね」(高原尊武)といった声が上がっています。
それ以外の読み物では、「出場ドライバーの横顔」、「鈴鹿フォーミュラレース観戦記」、「FJ1300のレーシングテクニック」、「これからのツーリングレース2」、「JAFグランプリと秋のレースカレンダー」などが掲載されています。

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