1993年10月30、31日/富士スピードウェイ
1993年全日本ツーリングカー選手権第9戦(最終戦)で、グループAによる最後のレースとなります。予選は、以下の通りです。
1. 2 STPタイサンGT-R(高橋国光、土屋圭市)1.54.750
2. 8 FET SPORTS GT-R(見崎清志、長坂尚樹)1.55.344
3. 12 カルソニック・スカイライン(星野一義、影山正彦)1.55.806
4. 100 出光MOTION 無限シビック(中子修、岡田秀樹)1.55.992
5. 36 トムス レビン(関谷正徳、ピエール・アンリ・ラファネル)1.59.252
6. 14 JACCS CIVIC(服部尚貴、金石勝智)2.00.508
7. 5 5ZIGEN カローラ(ミカ・サロ、田中実)2.01.261
8. 19 ウェッズスポーツカローラレビン(駒光武、河合博之、細野智行)2.01.946
9. 87 HKS SKYLINE(羽根幸浩、萩原修)2.02.177
10. 61 総合警備M3(トーマス・ダニエルソン、田嶋栄一)2.02.415
11. 18 ウェッズスポーツカローラレビン(浅野武夫、萩原誠)2.02.835
12. 26 TAISAN-M3(茂木和男、水野文則)2.03.026
13. 67 YAMATO CIVIC(大場次雄、佐藤克明、今村正弘)2.03.262
14. 77 ギャザズ・MAXFLI・CIVIC(桂伸一、花山雅彦)2.04.562
15. 72 IPF WAKO’S M3(牧口規雄、松田秀士)2.05.726
16. 37 トムス レビン(星野薫、田中哲也)2.08.327
17. 22 TAISAN-M3(一ツ山幹雄、武藤文雄)2.12.386
18. 55 日鉱共石SKYLINE GP-1プラス(鈴木利男、飯田章)2.13.702
19. 62 総合警備M3(ケヴィン・ウォン、チャールズ・カーン、ウィンストン・マック)2.14.503
20. 33 FORUM・TRAMPIO・CIVIC(清水和夫、村松康生)2.22.178
–. 1 ユニシアジェックススカイライン(長谷見昌弘、福山英朗)計測できず
–. 21 BP-アドバンM3(木下隆之、一ツ山康)計測できず
–. 25 ADVAN COROLLA レビン(鈴木恵一、新田守男)計測できず
–. 27 ASAHI KIKO バルボリン M3(アンソニー・リード、川本篤)計測できず
–. 28 TAJI-MAXカローラ(柴田昭、柴田優作)計測できず
–. 32 ALPINE CIVIC(原貴彦、影山正美)計測できず
–. 11 BPオイル・トランピオ・GT-R(横島久、トム・クリステンセン)計測できず
–. 35 オートテックM3(アンドリュー・ギルバート・スコット、中谷明彦)計測できず
これは、悪天候により第1回目の予選タイムのみで、決勝当日に第2回目の予選が行われ、それにより実際の予選順位が決定されています。
結果は、BPオイル・トランピオ・GT-Rが有終の美を飾り、約10秒差の2位にFET SPORTS GT-R、2秒差の3位に日鉱共石SKYLINE GP-1プラスが入っています。ディビジョン2は総合6位のTAISAN-M3、ディビジョン3は総合8位のJACCS CIVICがそれぞれ制しています。
読み物のトップは、「グループA解説」で、ディビジョンごとに簡単に解説するとともに、出場マシン、ドライバーも紹介しています。
「ギリギリバトルにドキドキ!ハラハラ!!」で、見どころをプレビューしています。「’93全日本ツーリングカー選手権・熱闘の系譜」は、第1戦から第8戦までを振り返っています。
「栄光のインターTECその軌跡」は、1985年からの軌跡を紹介しています。
1985年は、ヨーロッパのツーリングチャンピオンであるボルボ240Tが2台で参戦。予選であっさりとフロントロウを獲得すると、決勝も圧倒的な強さで1-2フィニッシュし、3位に7周もの大差をつけています。
1986年は、ボルボに加えてジャガーXJS、メルセデス・ベンツ190E2.3-16、ホールデン・コモドアまで参戦しています。決勝では、ジャガー2台が序盤をリードしたもののリタイア、ボルボが2連勝を飾っています。
1987年は、フォード・シエラRS500が参戦し、予選では上位3台を独占します。決勝は、フォード・シエラとBMW M3の争いとなり、フォード・シエラが1-2フィニッシュを決めています。
1988年は、世界ツーリングカー選手権が1987年で廃止されたため、外国勢の参戦は3台に減少しています。予選はリコーニッサンスカイラインGTS-Rがポールポジションを獲得し、決勝はピューミニ・トランピオ・シエラが優勝しています。
1989年は、カルソニック・スカイラインが制したものの、決勝はFORD COSWORTH SIERRA RS500 TURBOが快勝しています。2位は、2年連続でトヨタ・スープラ・ターボAです。
1990年は、カルソニック・スカイラインがポール・トゥ・フィニッシュで日本車初優勝を飾っています。2位もリーボック・スカイラインで、フォード・シエラRS500が3位から6位に入っています。
1991年は、スカイラインGT-R同士の争いとなり、予選も決勝も上位6台を独占。カルソニック・スカイラインが連勝しています。
1992年も、スカイラインGT-Rの独壇場で、予選は上位7台、決勝は上位6台を独占。共石スカイラインGP-1プラスが制しています。
「JAPANESE GROUP A HISTORY 去りゆくグループA時代 惜別の思いを込めてその歴史をたどる!」は、1985年から1982年の全日本ツーリングカー選手権をざっと振り返っています。
「GROUP A MACHINE’S MECHANISM」は、1993年の参戦車両であるスカイラインGT-R、BMW M3、シビック、カローラレビンの4車種を解説しています。
「インターTEC DATA編」は、過去の記録からインターTECを眺めます。最長コンビは、ウェッズスポーツカローラレビンの浅野武夫、萩原誠で、1987年から7年も参戦しています。最多優勝者は、岡田秀樹の4勝です。
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