「’93 RRC FUJI CHAMPIONSHIP」

1993年8月14日~15日/富士スピードウェイ
全日本F3000選手権第7戦です。予選は、以下の通りです。

1. 1 マウロ・マルティニ(ローラT93-50 無限 BS)1.16.296
2. 8 マルコ・アピチェラ(童夢F103i 無限 DL)1.16.421
3. 25 ロス・チーヴァー(レイナード93D 無限 BS)1.16.508
4. 11 エディー・アーヴァイン(ローラT92-50 無限 DL)1.16.590
5. 20 アンドリュー・ギルバート・スコット(ローラT92-50 無限 BS)1.16.823
6. 16 和田久(ローラT93-50 無限 BS)1.16.924
7. 77 鈴木利男(ローラT92-50 DFV BS)1.16.948
8. 61 トーマス・ダニエルソン(ローラT93-50 DFV DL)1.16.991
9. 14 影山正彦(レイナード93D 無限 BS)1.17.315
10. 7 高橋国光(ローラT92-50 無限 YH)1.17.567
11. 24 中谷明彦(童夢F103i 無限 DL)1.17.66
12. 21 ローランド・ラッツェンバーガー(ローラT93-50 無限 BS)1.17.655
13. 3 黒澤琢弥(ローラT92-50 DFV BS)1.17.817
14. 98 服部尚貴(ローラT93-50 無限 BS)1.17.860
15. 5 ジェフ・クロスノフ(ローラT93-50 無限 DL)1.17.938
16. 17 和田孝夫(ローラT93-50 無限 YH)1.18.022
17. 36 関谷正徳(レイナード93D DFV BS)1.18.023
18. 15 檜井保孝(レイナード93D 無限 BS)1.18.129
19. 19 星野一義(ローラT92-50 DFV BS)1.18.161
20. 28 パウロ・カーカッシ(レイナード93D 無限 DL)1.18.208
21. 37 ミカ・サロ(ローラT93-50 無限 YH)1.18.307
22. 2 伊藤直澄(ローラT92-50 無限 DL)1.19.599
23. 26 石川朗(レイナード93D 無限 BS)1.21.647
24. 33 清水正智(レイナード92D 無限 DL)1.23.820
25. 10 ハインツ・ハラルド・フレンツェン(ローラT93-50 無限 BS)1.26.651

5位までを外国人選手で占める中、ハインツ・ハラルド・フレンツェンは予選に失敗して最下位の25位に沈んでいます。しかし、決勝レースは、雨と霧のため、中止になっています。

読み物のトップは、展望です。星野一義は、1992年は1勝もできず、11戦中5戦もリタイアに終わりました。今年は、日本石油に移籍し、ムーンクラフトからチーフエンジニアの宮坂宏を迎えたことで、好成績を残しています。
クルマは、シャシーがローラ、レイナード、童夢、エンジンは、無限、DFV、タイヤは、ブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマ、と各メーカーがしのぎを削っています。ただ、ローラは、依然としてT92-50を使っているチームが半数ほどあり、重量ばかりでなく、空力性能の悪さは致命的と言われています。

「DRIVERS SECRET STORYS」は、5人のドライバーが登場しています。
星野一義は、モータースポーツでコーナーを曲がる時、奥歯を噛み締めるということを長年続けていたため、レーサー仲間の清水正智のところで上下合わせて28本の歯を徹底的に治療しました。それが、今シーズンの好成績に結びついているのかもしれません。ちなみに、生家は静岡市落合の和菓子製造業でした。
和田久は、長良川の源流に近い岐阜県群上郡白鳥町野添で育ちます。何もないところで、唯一の楽しみは父が年に2回、町に出かけた時に買ってきてくれたプラモデルや自動車の絵本でした。中学校を卒業すると両親の勧めで調理師免許を取りますが、自動車修理工場に入社し、23歳でレースデビューします。
アンドリュー・ギルバート・スコットは、イギリスの貴族の出身で、シップレイク大学で牧場ラウンド・マネージメントを学びます。しかし、モータースポーツが好きになり、トラストからスポーツプロトタイプカー選手権に出たことが縁で日本好きになります。イギリスの自宅は庭が100坪もある豪邸ですが、日本では八王子のワンルームマンション暮らしです。
清水正智は、船橋サーキットで1966年にデビューした歯科医のドライバー。スポンサーも、ライオン歯磨きを経て、トライデントが16年もついています。1973年には、富士GC最終戦のクラッシュで450針も縫う大やけどを負いましたが、その2年後にレース界に復帰しています。
関谷正徳は、レース界に入った当初は苦労しましたが、1981年に真田睦明に誘われてイギリスに渡り、フォーミュラ・アトランティックで6戦5入賞(最高4位)の成績を残します。1982年に星野薫の紹介でトムスと契約、それ以来、トップカテゴリーで幅広く活躍しています。

「FLASH BACK 1983-1992 GENERATIONS CHAMPIONS」は、1983年から1992年の勝者の簡単なプロフィール紹介です。1983年ジェフ・リース、1984年ステファン・ヨハンソン、1985年ケネス・アチソン、1986年マイク・サックウェル、1987年ヤン・ラマース、1988年和田孝夫、1989-91年星野一義、1992年マウロ・マルティニ。

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