「1997年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン第9戦 富士スピードウェイ」

1997年10月18~19日/富士スピードウェイ
「1997年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン第9戦 富士スピードウェイ」です。全10戦中の第9戦となります。
予選結果は、以下の通りです。金石勝智が初ポールポジション、立川祐路とヴィンチェンツォ・ソスピリが初出場となっています。

1. 55 金石勝智(レイナード96D 無限)1.16.495(SS)、1.16.312
2. 64 高木虎之介(レイナード97D 無限)1.16.709(SS)、1.16.334
3. 1 ノルベルト・フォンタナ(レイナード97D 無限)1.16.811(SS) 1.16.280
4. 8 脇阪寿一(童夢F104R 無限)1.17.198(SS)、1.16.681
5. 19 黒澤琢弥(ローラT96-52 無限)1.17.250(SS) 1.16.831
6. 28 山本勝巳(レイナード96D 無限)1.17.808(SS)、1.16.899
7. 27 影山正美(レイナード97D 無限)1.16.921
8. 65 山西康司(レイナード97D 無限)1.16.964
9. 10 飯田章(ローラT97-51 無限)1.16.966 ※1
10. 33 鈴木利男(レイナード97D 無限)1.16.995 ※2
11. 56 本山哲(レイナード97D 無限)1.17.025
12. 5 マーク・グーセン(レイナード96D 無限)1.17.079
13. 20 影山正彦(ローラT95-50 無限)1.17.141
14. 18 ラルフ・ファーマン(レイナード97D 無限)1.17.150
15. 35 マルコ・アピチェラ(レイナード96D 無限)1.17.223
16. 11 光貞秀俊(ローラT96-52 無限)1.17.294 ※3
17. 9 ペドロ・デ・ラ・ロサ(ローラT97-51 無限)1.17.367 ※4
18. 3 川本篤(レイナード96D 無限)1.17.454
19. 17 近藤真彦(レイナード97D 無限)1.17.830
20. 34 アンドリュー・ギルバート・スコット(ローラT96-51 無限)1.18.004
21. 21 田中哲也(ローラT95-50 無限)1.18.098
22. 6 田嶋栄一(レイナード96D ジャッド)1.18.122
23. 2 立川祐路(レイナード96D 無限)1.18.363
24. 12 柴原眞介(ローラT94-50 無限)1.18.644
25. 32 ヴィンチェンツォ・ソスピリ(レイナード97D 無限)1.18.702
26/ 63 OSAMU(レイナード96D 無限)1.19.213
※1: 黄旗区間のスピンによりベストラップタイム削除のペナルティ。
※2: 競技役員の指示に対する無視により罰金\50,000のペナルティ。
※3: 黄旗追越しによりベスト、セカンド及びサードラップタイム削除のペナルティ。
※4: 赤旗提示中の追越しにより当該タイム以降のラップタイム削除のペナルティ。


結果は、金石勝智が1時間1分29秒628でポール・トゥ・ウィン、1996年最終戦の富士スピードウェイ以来の通算2勝目を挙げています。
2位が約3.7秒差でペドロ・デ・ラ・ロサが15ポジションアップ、3位がそこから約1.7秒差で影山正美、規定周回数完走は14台というサバイバルレースになりました。

読み物のトップは、「フォーミュラ・ニッポン プレビュー/弱点なし 悠然と勝つペドロは人車一体。」です。
ペドロ・デ・ラ・ロサは、ここまで8戦5勝2位1回3位1回で、既にシリーズチャンピオンを決めています。F1への手土産に、記録的な勝率も稼いでおきたいところです。
高木虎之介、黒澤琢弥、ノルベルト・フォンタナ、ラルフ・ファーマンらも優勝を狙います。
「フォーミュラ・ニッポン プレイバック1997 運命の激流に 浮沈のドラマを振り返る。」は、ここまで8戦の内容と結果を振り返ります。

「ペドロ・デ・ラ・ロサ スペインの輝ける星」は、ペドロ・デ・ラ・ロサのインタビューを踏まえた記事です。
子供の頃のラジコンカー経験でクルマの挙動について勉強し、1989年に国内フォーミュラ・フィアット・シリーズに出場してチャンピオンを獲得。
順調にステップアップし、英国F3で2年戦った後、トムスの誘いで日本にやってきます。1995年のことでした。アンディ・ウォレスの勧めもありました。
いきなり全日本F3選手権で9戦8勝、「マカオGP」ではラルフ・シューマッハ、ヤルノ・トゥルーリに次いで3位に入ります。1996年にはフォーミュラ・ニッポンに昇格、最高2位を獲得します。
1997年のシリーズチャンピオンを引っ提げ、F1シートの獲得をめざします。

「黒澤琢弥 熱き不屈のファイター」は、黒澤宅のインタビューを踏まえた記事です。
黒澤琢弥は両親の離婚により母子家庭の期間が長く、あらゆるアルバイトを経験。しかし、母の再婚により御殿場に住む父・黒沢元治を頼って1人住まいを始めます。
1984年、父の口利きでトムスに入社し、1985年には11月23日にスターレットでレースデビュー、1986年から本格的なレース活動をスタートさせます。
1987年には英国フォーミュラ・フォード1600シリーズに出場、1988年には全日本F3選手権に出場、着々と中堅ドライバーとしての地位を築いていきます。
しかし、近年はパッとした成績を残せず、1997年はツーリングカーだけかと思われたところ、星野一義の代役としてフォーミュラ・ニッポンに乗るチャンスが訪れ、好成績を残しています。

「データで見るフォーミュラ・ニッポン レースがさらに面白くなる、好記録・珍記録を追う!」は恒例の記事で、最年少優勝、接戦、勝率、入賞率、平均獲得ポイント、完走台数、グランドスラム ハットトリック、スーパー・グリッドのデータを紹介しています。
グランドスラムは、ポールポジション、優勝、ファステストラップ、レースで終始トップを維持、という4つの記録を1レースで達成すること。ハットトリックは、そのうち最後の1項目を除いたもの。
1997年は、グランドスラムをペドロ・デ・ラ・ロサ、ハットトリックを黒澤琢弥、がそれぞれ達成しています。
スーパー・グリッドは、スターティンググリッドの平均順位で、2.125番手の高木虎之介、2.375番手のペドロ・デ・ラ・ロサが他を圧倒しています。

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