「1996年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン第10戦 Final Round FUJI SPEEDWAY」

1996年10月19~20日/富士スピードウェイ
1995年までの「全日本F3000選手権が」1996年から「全日本選手権フォーミュラ・ニッポン」と改称してスタートし、その最終戦として初代シリーズチャンピオンを決める1戦になります。
予選結果は、以下の通りです。一部選手のレイナードの年式で、公式プログラムのエントリーリストと予選結果表に食い違いがあるのですが、前者に統一してあります。

1. 19 星野一義(ローラT96-52 無限 BS)1.15.718(SS)、1.15.304
2. 56 本山哲(レイナード95D 無限 BS)1.15.791(SS) 1.15.757
3. 24 服部尚貴(レイナード96D 無限 BS)1.15.796(SS)、1.15.778
4. 64 高木虎之介(レイナード96D 無限 BS)1.15.826(SS)、1.15.761
5. 8 中野信治(童夢F104i 無限 BS)1.15.869(SS)、1.15.627
6. 6 光貞秀俊(レイナード95D ジャッド YH)1.16.180(SS)、1.15.689
7. 55 金石勝智(レイナード95D 無限 BS)1.17.783
8. 65 黒澤琢弥(レイナード96D 無限 BS)1.15.790
9. 25 ラルフ・シューマッハ(レイナード96D 無限 BS)1.15..801
10. 5 マルコ・アピチェラ(レイナード96D ジャッド YH)1.15.823
11. 10 ノルベルト・フォンタナ(ローラT96-51 無限 BS)1.15.851
12. 27 影山正彦(レイナード96D 無限 BS)1.15.901
13. 1 鈴木利男(ローラT96-52 無限 BS)1.15.987
14. 9 ペドロ・デ・ラ・ロサ(ローラT96-51 無限 BS)1.16.112
15. 20 アンドリュー・ギルバート・スコット(レイナード96D 無限 BS)1.16.174
16. 2 山本勝巳(童夢F104i 無限 BS)1.16.576
17. 21 ミハエル・クルム(レイナード95D 無限 BS)1.16.619
18. 7 影山正美(レイナード96D 無限 YH)1.16.865
19. 28 近藤真彦(レイナード95D 無限 BS)1.17.020
20. 72 川本篤(ローラT93 DFV BS)1.17.171
21. 31 岡田秀樹(ローラT95 無限 BS)1.17.254
22. 30 田嶋栄一(ローラT94 無限 BS)1.17.366
23. 12 羽根幸浩(ローラT94-50 無限 BS)1.17.653
24. 17 大西太一郎(ローラT94-50 無限 YH)1.18.548
25. 15 山田政夫(ローラT93改 無限 YH)1.22.758
26. 73 玉中哲二(ローラT93 DFV BS)1.19.682

結果は、雨が降るウェットコンディションの中、金石勝智がトップフォーミュラ初優勝、ペドロ・デ・ラ・ロサが2位、影山正彦が3位に入っています。
シリーズチャンピオンは、ラルフ・シューマッハーが40ポイントを獲得して初代チャンピオンとなり、服部尚貴は手中にしかけていたチャンピオンの座を逃し38ポイントでチームメイトにタイトルを譲る形になりました。
以下、3位が星野一義の31ポイント、4位が高木虎之介の25ポイント、5位がノルベルト・フォンタナの22ポイントと続いています。

読み物のトップは、「フォーミュラ・ニッポン プレビュー/最終戦のみどころ」で、チャンピオン争いは、チーム・ルマンのチームメイトで40ポイントのラルフ・シューマッハーと38ポイントの服部尚貴が王手をかけているとしています。
ラルフ・シューマッハーは富士との相性の悪さを本人も懸念する材料で、服部尚貴は前戦・鈴鹿の勝利で逆王手をかけています。
3位で31ポイントの星野一義は優勝以外にチャンピオンになる可能性はないものの、彼らしい“行くしかない”のレースが期待できます。

「フォーミュラ・ニッポン チーム&ドライバープロフィール」は、チーム(チーム代表、チーム監督、メンテナンス)とドライバーの簡単なプロフィールの紹介。

「中野真治 寡黙なファイター」は、中野真治の紹介記事で、父の中野常治は子供の頃からサーキットによく連れていき、小学校6年でカートを始め12歳でライセンスを取得します。「カートに乗る楽しさ、スピードに、僕自身が夢中になった」と語っています。
18歳になるとすぐに4輪免許を取得し、1989年に全日本F3選手権第3戦にエントリー(17位)。
1990年に渡英して中嶋悟のロンドン郊外の家に住み、フォーミュラ・ボクソールでロータス英国選手権、ヨーロッパ選手権に出場し、翌91年にはデビッド・クルサードと同居。クルサードとは食べるものが違ったので食卓で向かい合ったことはほとんどなかったそうです。
1992年からは日本に戻り、全日本F3000選手権や全日本F3選手権に出場、1997年に童夢がF1に進出した際には第1候補に挙がっています。

「ノルベルト・フォンタナ アルゼンチンの新星」は、ノルベルト・フォンタナの紹介記事で、彼は1995年までドイツF3で戦っていましたが、彼が10勝したのに対し、同い年のラルフ・シューマッハーは3勝と大差をつけています。
また、これまでに参戦したカテゴリーはすべてシリーズチャンピオンを獲得していますが、「マカオグランプリ」でのクラッシュの巻き添えにより脛骨を骨折し、首には4本のチタンのボルトが入ったままです。
また、夏にはF1のザウバーのテストに参加、1997年はF1参戦も現実味を帯びています。

「データで見るフォーミュラ・ニッポン」は、「ドライバー別スターティング・グリッドの平均値」、「ラップ・リーダー」、「ドライバー別通算走行距離/走破率」という3つのデータを徹底収集・徹底分析しています。
「ドライバー別スターティング・グリッドの平均値」は、1位が高木虎之介4.77番手、2位が星野一義5.55番手、3位がラルフ・シューマッハー5.66番手。
「ラップ・リーダー」は、1位が高木虎之介466.470874km、2位がラルフ・シューマッハー464.20698km、3位が服部尚貴339.34105km。
「ドライバー別通算走行距離/走破率」は、1位が服部尚貴1752.559804km/96.95%、2位がマルコ・アピチェラ1709.370746km/94.56%、3位が黒澤琢弥1700.224974km/94.05%。

それ以外の記事は、「TVでも、ドライバーの興奮とサーキットの熱気を伝えたい。」、「FISCO Course Guide」と各カテゴリーの紹介記事です。

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