1973年8月11、12日/鈴鹿サーキット
鈴鹿サーキットで1971年から始まったシリーズで、当初は日本を代表する20人のドライバーとマシンを招待して、最高のレースを見てもらおうという主旨で行われたレースですが、この年からは様変わりし、フォーミュラレースシリーズ第1戦として開催されています。当時としては、構想が大きすぎたということでしょう。
エントリーは、F-2000が5台と寂しく、21台がエントリーしているFJ-1300との混走となります。
予選順位は以下の通りです。
1.田中弘(マーチ732BMW)2分04秒75
2.高原敬武(ブラバムBT36BDO)2分04秒81
3.永松邦臣(ブラバムBT36三菱)2分07秒0
4.黒沢元治(マーチ722BMW)2分08秒1
5.歳森康師(ハヤシ708日産)2分17秒4
6.真田睦明(ベルコ98A日産)2分17秒8
7.都平健二(マーチ733日産)2分17秒8
8.谷口芳治(ベルコ98A日産)2分18秒8
9.鮒子田寛(ノバ01トヨタ)2分19秒5
10.林将一(ハヤシ708)2分20秒0
F-2000でエントリーしている大久保力(ロータス69トヨタ=1600cc)は、マシントラブルか2分29秒0で19位に沈んでいます。
サポートイベントは、ツーリング チャンピオンレースとFL-500・チャンピオンレースが行われています。前者は、サバンナ、ベレット、カローラ、パプリカ、サニーという組み合わせで、実質的にサバンナのレースになりますが、ここに注目すべきドライバーが登場しています。
それは、サバンナGTを駆る中嶋悟です。当時20歳の中嶋悟は、予選では2分24秒2と片山義美の2分22秒1には及びませんが、後のF1ドライバーの片鱗を見せています。片山義美は、FL-500でも2分25秒8で、2位に1秒5の差を着ける圧倒的ポールポジションを獲得しています。
プログラムの読み物は、怪鳥のような高々としたリアウイングを付けたフォーミュラカーの写真を載せた「懐しの名場面 ’68鈴鹿フォーミュラレースより」、星島浩による「’73鈴鹿グレート20ドライバーズレースに寄せて–栄冠は黒沢・永松?」、鈴鹿モータースポーツの回顧となる「鈴鹿をゆるがすデッドヒート、相次ぐ逆転劇」、「新進ドライバーの祭典–鈴鹿シルバーカップ」、「世界のフォーミュラ」、「スタードライバー10年前」、「タイムの楽しい測り方 その観戦法」などが掲載されています。
「出場選手アンケート紹介」は、以下のような質問がなされています。質問1. 生年月日。家族状況。質問2. レースをはじめてから、最も印象に残っていること。質問3. アナタにとって必要なもの、欠かせないものは・・・・・・?、質問4. ズバリ、今後日本のトップドライバーになりそうな若手は誰? 質問5. 最後の質問を開放します。何でも言いたいことをどうぞ。
中でも興味深いのが、質問4. です。23人に質問して、自薦を除くと、桑島正美6人、従野孝司3人、高原敬武3人、歳森康師3人、長谷見昌弘2人、星野一義2人、谷口芳治2人、黒沢琢弥1人、となっています。なかなか納得できる顔ぶれと言えるでしょう。主なコメントを挙げておくと、以下のようになります。
桑島正美。「彼の若さ、動物的なカン、レースセンスは大いにかえる」(黒沢元治)、「若いうちにがむしゃらにやる奴は、やっぱり伸びるね」(真田睦明)、「レースに賭ける意気込み」(力身修)。
従野孝司。「とにかく馬力がある。しょっちゅう一緒に走っているけど、彼には言葉でいい表せぬほどの迫力がある」(西野弘美)、「一緒に走って競り合った時、強烈な印象を受けた」(久保田洋史)。
高原敬武。「根性も体力もあるから」(永松邦臣)、「近所で、昔から一緒にレースをやってきたし、彼のことをよく知っているから」(高田忠政)。
歳森康師。「環境や経済的なことを考えないとして」(林将一)、「どんなマシーンに乗っても、安定した力を発揮するから」(太田和義)。
長谷見昌弘。「子供の頃から知っているけど、彼はレースのために生まれてきたような人。運も強いし、動物的カンも鋭い」(堀オトキチ)。
星野一義。「性格的にも、その素質もいいものをもっている」(都平健二)。
谷口芳治。「乗れるクルマさえあれば」(大塚光博)。
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