「’73鈴鹿ダイヤモンドレース」

1973年9月9、10日/鈴鹿サーキット
F-2000とFJ-1300による「鈴鹿グレートチャンピオンシリーズ」の第2戦です。とはいえ、F-2000のエントリーはわずか3台で、16台がエントリーしているFJ-1300との混走になります。予選順位は、以下の通りです。

1.田中弘(マーチ732BMW)2分05秒3
2.高原敬武(ブラバムBT36BDO)2分06秒8
3.中野雅晴(マーチ722BMW)2分10秒4
4.寺西孝利(GRD372日産)2分17秒8
5.真田睦明(ベルコ98A日産)2分18秒2
6.宮脇伸介(KS-03日産)2分18秒3
7.高田忠政(ベルコ98A日産)2分19秒9
8.歳森康師(ハヤシ708日産)2分20秒0
9.鮒子田寛(ノバ01トヨタ)2分20秒9
10.坂口顕(ハヤシ708日産)2分21秒6

ちなみに、このレースはF-2000勢が総崩れで、真田睦明が優勝しています。
サポートイベントとなるFL-500・チャンピオンレースは、新井鐘哲(マルチFJスズキ)が2分25秒6で、2位の佐藤一彦(ベルコ97Aスズキ)の2分27秒0をぶっちぎってのポールポジションを獲得しています。また、ダブルエントリーの真田睦明(ベルコ97Aスズキ)が2分27秒8で3位になっています。
もうひとつのサポートイベントのツーリングチャンピオンレースは、常勝・長坂尚樹(サニークーペ)が2分27秒6でポールポジションを獲得しています。

プログラムの読み物は、「懐しの名場面 ’70/’73鈴鹿300キロレース」としてフェアレディZ432同士のバトルの後方にサバンナRX-3とセリカ1600GTの写真、「ダイヤモンドレースの意義とその見どころ」、「炎熱地獄の鈴鹿に吹き荒れた新記録旋風–栄冠は高原に」と題して「鈴鹿グレート20ドライバーズレース」の回顧、「NRCの生い立ちと鈴鹿300キロレース」として名古屋レーシングクラブ(NRC)の紹介、「オフィシャル素顔拝見」としてオフィシャルの紹介、「緻密な計算 闘志に支配されるモーターサイクルレース」などが掲載されています。
「出場選手アンケート紹介」は、以下のような質問がなされています。質問1. 生年月日。家族状況。質問2. 観戦するとしたらどこで見ますか? その理由も。質問3. あなたのレースのモットーを。質問4. 鈴鹿300kmの思い出を、そしてNRCに対して望むことも。質問5. あたなのユメは? (レースに関して) 質問6. あなたがレース以外で情熱を燃やす時は。

質問2. では、「S字コーナー」という回答が最も多く、「テクニックがわかるから」(高田忠政)、「その人の速さがわかるから」(都平健二)という声もありました。「第1コーナーから第3コーナー」という回答が次点で、「各人の走りがよくわかる」(高原敬武)ということです。「そうだなァ–貴賓室で見てみたいな」(真田睦明)は、この人らしい回答です。
質問3. では、まずは「完走」、そして「優勝」に尽きそうです。ただ、「前に自分と同じクラスのマシーンがいたら必ず抜く」(都平健二)という声もあれば、「セーフティ・ファーストや」(田中弘)という声もあります。
質問5. では、「F1」(高原敬武、谷口芳治)というように、上のフォーミュラをめざす声が圧倒的です。ただ、「ユメなんて、メーカーに所属してしまうとなくなってしまいます。
その時々にベストをつくしますから」(永松邦臣)というさめた声があれば、「別にないわ。最近、レースに対する考えも変わってきたし。このところ、よう、わからんですわ」(田中弘)という投げやり? な声もあります。早期に引退してヒーローズレーシングを結成した田中弘の心境が垣間見えます。

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