「’72全日本鈴鹿500キロ自動車レース」

1972年4月1、2日/鈴鹿サーキット
鈴鹿ビッグレースシリーズ第3戦(500キロレース)、全日本レーシングドライバー選手権レース(F-J)、FL<500>チャンピオンレース(FL500)が併催されています。
500キロレースは、7回目を迎える伝統あるレースで、第1回からの優勝は、滝進太郎(ロータスエラン)、細谷四方洋(トヨタ2000GT)、長谷見昌弘(ポルシェカレラ10)、細谷四方洋(トヨタ7)、風戸裕(ポルシェカレラ10)、浅岡重輝(ベレットR6)です。また、過去6回の平均完走率は63%となっています。
優勝争いは、レーシング・カーのR-IIクラスが中心となります。このクラスのエントリーは6台で、高橋晴邦(セリカ1600GT)、田中弘(シェブロンB19)、吉田隆郎(武将7)、永松邦臣(ロンソン2000=ローラT280)、鮒子田寛(シェブロンB21P)、浅谷孝夫(リバーサイドNo.2)ですが、中でもシェブロンとローラが有力となります。
R-IクラスはホンダS-800とオオハシ72の2台、GT-IIクラスはフェアレディ240Zが6台、フェアレディZ432が4台、GT-IクラスはホンダS-800が5台、T-IIクラスはロータリークーペ、サバンナ、カペラのロータリー勢が10台にセリカ1600GTとスカイライン2000GTが1台ずつ、T-Iクラスはサニーが6台とホンダ1300Cが2台とパブリカ、カローラのトヨタ勢となっています。
注目ドライバーとしては、従野孝司の名前を挙げておきましょう。T-IIクラスにチーム木の実のサバンナでエントリーしていますが、片山義美の実弟で日本のレース史においても兄と並んで屈指の存在と言えます。
若干18歳にしてカワサキの契約ライダーとして迎えられ、4輪のデビューレースで優勝しており、この時点で21歳。その後はマツダのエースドライバーとして長きにわたって活躍することになります。

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1972年からプログラムがこれまでのB5サイズからA4サイズになっているものがあるのですが、それに伴うプログラムの充実なのでしょう。ちなみに、第1回の日本グランプリの観衆は14万人で、勝ったピーター・ウォアのロータス23シリーズI型のラップタイムは2分41秒3だったそうです。

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